どうも、スタイリストのOhtagakiです。
日本人は英語が苦手な人が多い。これは有名な話です。
前編では、「文法的な違いからの混乱」という切り口からお話をしましたが、
今回は、
「文法を勉強しすぎることに落とし穴がある」という話をしていこうと思います。
日本における英語の歴史
今からは少し、歴史の話。
なんで?って思うかもしれませんが、日本の英語教育は、戦後のアメリカによる統治から始まるわけです。
ある種の陰謀論にもなりますが、かなり砕けて説明すると、
第二次世界大戦で、日本(同盟軍)がアメリカ(連合軍)に敗れ、そのままアメリカに統治される事となり、
アメリカのGHQは「日本から漢字を無くし、英語を母国語化できないか」と試みた。なぜなら、
疾風怒濤、疾風迅雷、風林火山、猪突猛進、因果応報、不撓不屈、紫電一閃、電光石火
例えば四字熟語には色々あるけれど、こういった攻撃的な熟語も多いのは確か。
なんなら上に挙げたものは、戦争で日本軍がアメリカ軍を戦慄させた特攻部隊が掲げていてもおかしくないフレーズではないだろうか。
これに危険を感じたわけで。
または「特攻なんて平気でしてくる日本はマジでクレイジー。これはきっとこの難解な漢字、かな文字を理解できないまま、都合よく洗脳されているのでは?」
が、現実は、日本は江戸末期から明治にかけて、尋常じゃない識字率へと上り詰め、
この頃にはほとんどの人が字を読み書きし、理解していた。
その為、この文化を奪うことは不可能だと判断する。
逆にこれだけの言語吸収力のある日本人に、英語を普及させるとどうなるか。アメリカの有利な仕組みを通すのが難しくなるのでは???
それを恐れたアメリカは、「使える英語」ではなく「文法でがちがちに固めた難解な英語」を普及させ、
日本人に対して英語への苦手意識、上手くコミュニケーションを取れないことから植えつける外国人コンプレックスを増長させた。
日常会話と難解な文学
よくよく考えてみれば、日本語も難解なはず。
知らない言葉とかもたくさんある。流行語にもあった「忖度(そんたく)」とかも、言われるまで知らない言葉だった。
例えば、国会の答弁。
僕の理解力が無いだけかもしれないけど、わざと難しい言葉や言い回しの羅列で話の論点をずらしたり、うやむやにしているように見える。
実際の日常における会話で、もっと伝わりやすい表現もあるのに敢えてだ。
あとは同意書。
読むわけがないダラダラ堅い文章で書かれた注意事項をスルーし、「同意します」にチェックし、次へ進む。
気づけはそれが、流れ作業的に行われるようになる。
難解になればなるほど、読む気力を失せるも、必要を迫られれば「まいっか」と受け入れることが増える。
でもよくよく考えてみると、日本語での日常会話で使う言葉って相当限られていると思います。
「マジで?」「ほんまそれ」「たいぎい(広島弁に限る)」
これで大抵の会話は成り立ちませんか??(成り立ちません)
でも実際、案外少ないんですよね。特に動詞。
なのに教えられる英語は言い回しから単語から、ほんと色とりどりです。多すぎ。
そう、多すぎると混乱するんです。苦手意識ができちゃうんです。
でも日常会話なら、日本語と同じように別にそんなに言葉のバリエーション要らないかも??
つまり、どういうことかというと、
海外留学行った人、結構、使う単語とか、会話とか、ワンパターンだったのでは?(予想)
では、どうすれば話せるようになるのか。
という点で、
僕が高校生くらいですよ。やっと学校教育でリスニングという活きそうな英語を学び始めたの。
センター試験でリスニング科目が増えたのも、約11年前。僕の世代が第一回のはずです。
それでも、スピーキングの授業は無かった。
スピーキングをしない以上、未だに活きる英語は学べていない状態だと思っています。正直ね。
文法ガチガチじゃなくても、とにかくニュアンスで話すことに慣れること。
最低限、前回話した、主語述語の並びの概念を根付かせること。
そしたら、次第に、「(Listen)英語→日本語」からの「(Speak(日本語→英語)」という変換、翻訳に追われる脳の状態が
英語を英語として聞き、英語を英語として話す。つまり、「英語で会話するときに、ほぼ日本語の意識はない」という状態になっていくような気がする。
喋れませんが。
……そんなことを真面目に考えたりしているけど、一応本職は美容師です。