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2019.12.11 大田垣 成俊
【思い出話】もうすぐ花園!全国高校ラグビー始まります。【元チームメイトが初監督】

どうも、スタイリストの大田垣です。

 

12/7(土)、

 

高校ラグビー全国大会の組み合わせ抽選会が行われました。

 

 

母校の尾道高校は13年連続出場します。(ど真ん中らへん)

 

実は創部14年?意外と歴史は浅く、僕は2期生でした。

 

尾道高校ラグビー部 ブリカンズ とは

 

ブリカンズとはチーム名です。

 

名将・梅本勝監督の下で、新設。

 

 

 

この監督、経歴が凄くて、

 

島根県の江の川高校(現・石見智翠館高校)でもラグビー部を新設し、全国大会の常連校に仕立て上げる。

 

 

私立尾道高校にやってきて、またもラグビー部を新設。強豪地区の大阪圏から経験者のスカウトと、

 

地元の中学で、バスケ、サッカー、野球、陸上などの各スポーツ分野におけるエース級の生徒をスカウト。

 

 

創部2年で全国の切符を得て、現在は全国大会の常連になり、

 

 

 

最高結果は5年前の94回大会の全国ベスト3.

 

準決勝で東福岡高校に善戦をしたものの、惜しくも敗れ、

 

東福岡高校は決勝で堂々の優勝を果たしました。

 

 

試合内容的には、尾道vs東福岡が事実上の決勝みたいな感じでした。

 

 

 

前回大会の二回戦では、梅本監督の古巣である石見智翠館と対戦し、敗れ、梅本監督は尾道高校を去ります。

 

 

今年から岡山県の倉敷高校に転勤し、3度目のラグビー部新設を行っています。すげぇ。

 

 

梅本監督が退いた尾道高校の後釜ですが、同級生で元チームメイト、田中春助。

 

 

大阪出身にも関わらず、いつの間にか尾道市民へと移り変わり、成人式でも尾道市民の新成人代表として挨拶をしていた。

 

 

現役の頃に比べて、身体のでかさが倍くらいになっている。怖い(笑)

 

 

 

ラグビー部に入ったキッカケ

 

よく聞かれます。「えっ!見えない!!」と。

 

僕も入るつもりはなかったんですけど(笑)

 

少し思い出話として、僕がラグビー部に入った流れを綴ってみます。

 

中学時代

 

中学でテニス部だったのですが、まー練習きつくて。

 

漫画『テニスの王子様』が始った影響もあってか、1年生の頃の入部数は30人。

 

新任の顧問が割と本気で、夏休みまでに残ったのは、僕を入れて8人。

 

 

毎日の練習、プラス、週4の塾。

 

 

「高校では楽したい」というのが正直な僕の気持ちでした。

 

高校入学

 

尾道高校は当時「受験すれば受かる」くらいの滑り止め高校でしたが、僕の1個上の代から学業の変革が始まり、

 

「A(特進)>B(準特進)>C>D>E」といった感じで、毎年、成績順でクラスわけをされるようになった。

 

 

しかし、『文武両道』がスローガンのラグビー部に関しては例外で、

 

入学する前からラグビー部に入部が決まっていた推薦組は、強制的に「勉強しろ」と、A組にねじこめられていた。

 

 

男子半分くらいラグビー。関西弁が飛び交うA組の教室。

 

その他生徒も、「最初は何か部活に入らないといけない」という謎の決まりがあり、

 

僕は「楽できそう」という理由で、少林寺拳法部に入った(笑)

 

 

が、意外と活動が真面目だったので、担任に相談すると、普通に辞めることができた。

 

 

念願の帰宅部になったが、安寧の日々は長く続かなかった。

 

ラグビーとの出会い

 

体育の授業の際、受け持ちの担当教諭が出張の為、代わりの教諭が来た。

 

それが梅本先生(監督)である。

 

 

ピリつくラグビー部員たち。

 

梅本先生は「タッチフットやるぞ!」と一声。

 

なんのこっちゃ分からない生徒と、妙に熱気立つラグビー部。

 

 

タッチフットとは、両手タッチ=タックルとみなす、安全なラグビー(?)。

 

 

彼らにとっては、絶好のアピールチャンスでもあり、下手するとマイナス評価にも成り得る。

 

一般生徒は「たかが体育」とへらへらしていたが、監督が見ている中、ラグビー部はそうはいかない。

 

走って追いかけない一般生徒に対して、「真面目にやれや!!!!」とラグビー部から怒号が飛ぶ。

 

 

そんな彼らのプレッシャーにやられ、何人かの生徒は真面目にルールを理解しようとし、タッチフットに取り組む。

 

 

僕もその1人でした。

 

 

「どや、ラグビーやらんか?」

 

 

授業後に呼び出され、梅本先生に言われた一言。正直混乱した。

 

冷静に考えて、「俺はラグビーって感じじゃないだろ」と思いました(笑)

 

「えっと、急なのでちょっと、、、少し考えさせてください」

 

と、日本式の「NO!!」みたいな返答をしました。

 

 

それからというものA組の教室では、ラグビー部がやたら僕を囲い込むように距離を縮めてきた(笑)

 

それでも「YES!!」とは言わず、先延ばしにしていると、ある日、先生とバッタリ出くわす。

 

 

「はよ答え出せや!!男やろーが!!!」

 

 

ええええええ…。そして即答する。

 

「今日、見学行くつもりでした!!」

 

 

やっちまった。とっさに言ってしまった。これはもう、見にいかないと殺される…。

 

 

ラグビー部見学(?)。

 

週一回はサーキットトレーニングがある。

 

偶然その日だった。

 

内容は自重筋トレと、各種ダッシュ切り替え(全力、ジョギング、7割ダッシュ、バック走とか)

 

 

監督「これなら大田垣もできるな!」

 

 

マジかよ。ブレザーにロウファーですが。

 

気付けば走っていました。

 

 

終わって監督のもとに見学に戻ると…

 

 

 

「明日は朝練6時からじゃけーの」

 

 

「えっ?あっ、はい」

 

 

入部?初朝練。AM6:00~

 

ぶっちゃけ「入部します」は一言も言っていない。

 

でも、なんかもうノリで行った。

 

運動部だし、15分前行動かな。AM5:45には行こう。

 

 

 

学校に着くと、目を疑う光景があった。

 

 

もう既に列を成して走っているラグビー部員。

 

そして、キャンプっぽい椅子に座って、足組んで頬杖ついている監督。

 

戸惑う僕に一言。

 

 

 

「6時から始まるっていうことは、それまでに動ける身体を作らんと駄目じゃろうが!!!

 

 

そしたら5時半からアップじゃろうが!!!!!(怒)」

 

 

 

初耳です。

 

そんな感じで、入部したっぽいです。

 

5時15分に学校。なので4時半には起床。

 

A組の課題の多さにも追われ、就寝は1時過ぎ。

 

 

毎日が3時間半睡眠でした。

 

今思えば、僕の眠りの浅さというか、不眠っぷりはこの頃の生活習慣が影響しているようにも思います。

 

 

田中新監督

 

彼は大学進学と同時に、尾道高校ラグビー部のコーチのアルバイトを始めました。

 

教育実習行った時も、彼がコーチだったので見学させてもらった。

 

その後、彼も教員免許を取り、非常勤で勤めながら、コーチを継続。

 

しばらくして英語教諭として正採用を受け、教育にラグビーに奮闘しております。

 

 

 

影ながら応援しております!!

 

 

最後に…

 

 

長くなりましたが、ラグビーワールドカップの影響で、ブームがやってきましたが、

 

今後も興味を持ってくださる方が増えたら嬉しい。

 

そして、市は違いますが、尾道高校ブリカンズ、是非、応援してみてください♪