どうも、スタイリストの大田垣です。
正月って、みなさん何をして過ごしますか??
正直、とっっっても暇じゃないですか?
寝る。
箱根駅伝みる。
ラグビーみる。
ゲームする。
漫画読む。
僕が実家でやることってそんな感じです。
…家のこと手伝えよ…って感じですね(笑)
で、残念ながら、ラグビーは、母校の尾道高校は2回戦でシード校の京都成章に敗れ、
そのシード校も4回戦で最後の1プレーで劇的な逆転負けを喫しました。
駅伝は好き嫌い別れると思いますが、僕は結構観てて楽しめます。
昔は嫌でしたけど、ここ数年で面白さを感じてきました。
年ですかね(偏見)
まぁ、キッカケは結局、「奈緒子」って漫画なんですが、
駅伝の面白さは全てこの漫画から教わりました。(マンガワンってアプリで無料で見れます)
駅伝って2日合わせて10時間ほど。流石にずーーっとは観ませんが。
嬉し泣きにしても、悔し泣きにしても、重圧と闘って、努力の末の涙には、グッと来るものがあります。
例えば、
高校野球は、枠に投げれるか、打てるか、捕れるか、緊張感の極限状態。
ラグビーは、倒れる仲間を越えて、恐怖とダメージと闘う極限状態。
駅伝は、体力の限界と、責任と、孤独と闘う極限状態。
高校野球、最後に打たれ負けたピッチャーの涙にしても、
駅伝、ヘロヘロになりながらも、タスキを繋げられなかったランナーの涙にしても、
本人からしたら、その先何年もトラウマになりかねない内容なのに、
その悲痛なストーリーに、不謹慎かもしれないが、僕らは感動してしまいます。
しかし、人から与えられる感動は、よほど心揺さぶられない限り、明後日くらいには無くなっていることがほとんどです。
嬉しくて泣くとか、
悔しくて泣くとか、
ありますか??
って思い返したときに、「今、自分にそういう体験がないのは、成長を妨げているんじゃないか…」と感じさせられました。
最後に自分自身でそうやって泣いたのはいつでしょうかね。
僕の悔し涙は、一年目の頃、会社のワインドマニュアルテスト(パーマ巻くやつ)、
ワインドは他の同期は専門で2年間ミッチリやっていきたのに対し、僕は通信でその経験がなく、ほぼ手付かず。
スタートから明確な差があり、ほぼ毎日23時手前、最後の一週間は24時過ぎ、最長で25時過ぎまで残って練習したのに、
それでも一人だけ時間に入らずに、一人だけ落ちて、一人、みんなが帰った後も店に残って泣いたのが最後。
それでも8~9年前か。
嬉し泣きは、スタイリストになるための最終試験で、合格を貰ったときが最後。
そう考えたら、
「悔し泣きや嬉し泣きが出来るほど、目標を掲げて必死にやっている」って胸を張って言えることが、
今、少なくなっている事実がある。
「そんなもん、多くの人が当てはまる事だ」と言えば、それもまた事実だとは思いますが、
本気で何かに打ち込んで、その結果で泣いている当人の姿を見て、感動してしまいそうになる自分にモヤッとします。
身近な人や、好きな人、大切な人、仲間なら共感できるけど、
赤の他人の努力の結果で、赤の他人の自分が勝手に感動して、
その感動って、一体誰のものなんだ。って感じてしまう。
スポーツ選手って、「感動を届けたい」って優しく言ってくれるけど、
それを1日、2日とかで日常に戻してしまう自分も、
自分で感動できるほどの何かを成していない現在の自分も、
本当にいけないなぁって思います。
美容のコンテストでも、グランプリに選ばれて、
「えっ!マジで!!?(笑)」って感じで壇上に上がる人と、
もう既に泣きながら壇上に上がる人と、
見える努力のバックグラウンドが違うって感じた事もあります。
後者は本当に、コンテストに向けて勉強して、通過点にしても「賞を獲りたい」っていう目標があって、苦しみぬいて努力をしてきたんだろうと。
今の自分が何かに出て、仮に賞を獲ったら、泣けるのか?と。
まぁ、難しく考えすぎですけどね!!!!
こんな事書くつもりじゃなかったけど、
単純に「奈緒子」って言いたかっただけだけど、
考え始めたら止まらなくなりました(汗
少なくとも自分の努力の結果に、涙を流せる生き方をしていきたい。そんな風に考えすぎた、訳分かんない正月でした(笑)