どうも、最近、内容的に美容師かどうか疑わしいけど、スタイリストの大田垣です。
ブログに関して、実は、今月は「日数ぶん書く」という裏目標があります。
「なので」というのは理由にはなりませんが、美容ネタとは全く関係ないネタとかも結構書いています。(もともとです)
しかし、その中でも、「ガッキーのブログって結構面白いよね」とか「この話、笑ったわー」とか、
読み手なりに楽しんでいただけているっぽい声が結構届くので、
開き直って僕もラフに書いたりしています。(もともとです)
なんなら全部、漫画とか音楽のレビュー書いて自己満足にどっぷり浸ってもいいんだけど、流石にそれは飽きられるのでやめます。
現在、英語を教えております。
といっても、そんな偉そうにできるほど、英語が出来るかといえば、出来ないです。
「中学英語程度なら…」と思い、依頼を受けたものの、ド忘れしている内容も多く、三人称単数現在形の「動詞+s」すらも「そういえばあったな」って感じで、
イディオム(熟語的なやつ)も忘れているものだらけです。
ただ、仕組み、要領さえ抑えておけば、不完全ながらも、案外それなりの形にはなるもんだな……という事を学べました。
それにしても、存外、教育というものは面白い。
学ぶ意欲のある人を相手にするのは、なお面白い。
食事を与えることと似ていて、料理をどこまで噛み砕けば飲み込むことが出来るのか。
素材に手を加えなくていいのか、はたまた離乳食ほどに溶かさないといけないのか。
どの段階なら嚥下できるのかを様子を見ながら、図る。
柔らかくしたものばかり与えたら、飲み込むことは出来ても、そのもの本来の、一つ一つの味わいや形を分けられない。
自分で理解し、消化しようとする本能は弱まっていく。
慣らして慣らして、“知識の素材”の噛み砕き方を教えて初めて、その人の血肉と成り、ちゃんと他の誰かに伝えることができるようになる。
一応、最終的には「そのスタッフが日常英語がそれなりに正しく喋れること」が目標、
ではなく、
「日常英語がそれなりに喋れるようになり、そのスタッフがそれを周囲に教えられるようになる」ことです。
ハードルたっけぇ(笑)
でも、やっぱりこういうことを数回して、
本質的に、僕の天職は教育なんだろうな…というのは薄々感じます(笑)
あ、美容師は続けるのでご安心を。。。
スタッフから言われたことで、
「現地で一応、英会話の先生から、1時間2千円で教えてもらっているけど、
大田垣さんのほうが遥かに解り易いです(笑)
英語に対する捉え方もシンプルになったし。
教えてもらったことを意識してFacebookに英語で投稿したら、明らかに反応があって、今までと違う気がします。
これ、お金取らないんですか???」
取っていいなら取りたい。
けど、まぁ、いけない気がするので、「アイス与えてくれりゃ僕は喜びますよ(笑)」
って言ったら、こんなに恵んでいただきました。(1つのつもりだったけど、貰えるものは貰っとくw)
言葉に対する思い入れ。
「文章力がある」とか「本が書ける」とか、色々なことを言っていただきます。
「知人の中で一番文章が上手い」とすら、遂に言われました。とてもじゃない。過大評価です(笑)
でも、確かに、意識的に、意図して書いている部分はあります。
行間、リズム感、読み取りやすさや、考えてほしいからこその間接的な表現、ちょいちょい意図しています。
そんな僕が、言葉を扱うことに関して、どうしても1つ、気になることがあって、
「機械による翻訳の過剰な進化」
最近、googleとか、アプリでカメラを英語にかざせば、画面内で翻訳して出てくる。とか、
日本語喋ったら機械が勝手に英語に変換して喋ってくれる。とか、
凄いと思うし、便利は便利、スムーズにもなるけど、「それがあるから言葉を学ぶ必要がなくなる」という考えを増長させる結果なら考え所です。
別に怪しい信仰をしているわけではないですが、個人的に「言霊」というものを信じています。
「言葉には魂が宿る」ってやつですね。
https://panda-ondo.org/心/言霊の力/
(↑ これとか面白いですよー)
相手の言語を知ろうとすることは、言語以外にも、歴史、風習、風土、人の心を知ろうとすることだと思います。
同じ日本語だろうが、相手の生きたナマの言葉を知ろうとすることは、その人の成りや真意を知ろうとする意思表示だと思います。
機械的に訳された言葉に言霊が宿るとは思えないんですよね。
人の肉体を救うのは、いつだって「行動」です。
人の魂を揺さぶり、ちゃんと繋ぎ留めるのは、いつだって「ナマの言葉」で、行動だけでは誤解も起これば、説明不足の事も多いと感じます。
言葉に力がないのなら、語学や文学はここまで重んじられていない。
知を得る為にも、互いの心を知り、分かり合うためにも、言葉を重んじる語学、文学は栄えてきたはず。
それを機械化しすぎることは、少し勿体無いと思う。
外国人が日本で「アリガトゴザマス」と、間違っていてもいいから、学んだばかりの拙い感じで言うのか、
「Thank you」とサラッと機械に伝え、「アリガトウ」と機械音声が伝えてくれるのか、
日本人である自分たちの心の揺れは、大きく異なるはず。
「美容師が無理なら、日本語教師になりたかった」という第2の夢は、
この言葉の力を中学の時から感じていたからだと思う。(テキトーすぎて免許は社会の教科になったけど)
だからこそ、言語コミュニケーションによる意思疎通を考え、それを学び、持ち帰り、伝えようとする、スタッフの意志は素晴らしいと思う。
そして、、、
何故、現在美容師の僕が、こんな言語学者のような事を書いているのかは、甚だ謎である。
書きたい事がなさ過ぎるのだろうか。。。。。。