先日、クリエイション系のコンテストの見学をさせていただきまして、月並みながら色んなことを感じるわけです。
「この人は何を考えた末、どこにその想いを乗せて創っているんだろう」とか。
僕も創作物とかは好きなので、色々頭の中で思考をかき混ぜたりするんですが、
とにかく表現の場は様々です。
音で表現する者もいれば、文章で表現する者もいる。
絵で表現する者もいれば、具体的な物体として表現するものもいる。
視覚化する物のもあれば、視覚化しない物もある。
僕は「文章力がある」とか言われますが、確かに文章表現にはこだわりがあります。
「である」「ですます」口調を統一させないこともよくあるし、
改行することで、何となくのリズム感も持たせるし、
語感とか気にしながら言葉の選択をすることも多い。
「
音で表現する者もいれば、文章で表現する者もいる。
絵で表現する者もいれば、物体として表現するものもいる。
視覚化するものもあれば、視覚化しないものもある。」
のように、上下で「、」の位置をそろえて視覚的に快感を得るとか、
あえてクドく「表現する者もいれば」みたいな言い回しを省略せず、読んだ時のリズム感とか、一体感とか、雰囲気から快感を得るとか、
しょーーーーじき、そんなことにこだわるとか、変態だと思います。
けど、自分はそういう部分にも創作意欲を掻き立てられる。本とか執筆してみたい(笑)
とにかく、言葉が「ぶわーーっ」となってしまうんですが、
その分、じっくり選ぶことが出来る「書く」という事は得意でも、
「話す」という事はカミカミで、言葉に詰まって、頭が回らなくなることが多い。
で、思ったのが、そういう細かいこだわりとか、意味や意図を、
同じようにヘアクリエイションに落としこめている人たちがいるんだなー。っていうこと。
「オウム」とか「貝」とか直接的で、写実的な表現をする人。
ストーリー性を持たせて、その中の惹きつけられるワンシーンを切り取って表現する人。
音楽などの抽象的な表現からインスピレーションを得る人。
ホント様々。
審査員の方々(日本の美容業界で有名な方々)も審査の後に、クリエイション作品を発表していましたが、
一番、惹きつけられるのは、「かあこさん」という、音楽からヒントをもらう人。
何回か講習も行ったことあるんですけど、やはりここでも音楽からヒントを得ていました。
そんで、またその選曲もセンスが良いんです。凄く。
でも、音楽という形のない抽象的なものを、(まぁ、歌詞で明確な意味を持たせてある分、必ずしも抽象的とはいえないけど)
ヘアという形あるものにしようとした時に、
音の感じを、髪型として尖った形や、丸い形みたいに、形だけで表現するのは、ちょっと短絡的過ぎてナンセンスだと思うけど、
濡れ感やドライ感やツヤ感で表現したり、色で表現したり、
曲全体の雰囲気や余韻は、写真を1枚の絵として見た時の、空白の使い方によるバランス感。
モデルのファッションや表情による表現。モデルとの距離感。
まぁ、このくらいが簡単に思いつく要素ではあったんだけど、
結局、全て視覚化できるんですよね。
一方、「かあこさん」の作品って、ムードがあるんですよね。
音楽という抽象的なものを、抽象的なままストーリー性を持たせて表現しているというか。
なんか気まずい雰囲気とか、優しい雰囲気とか、そういうオーラ的な意味でのムード。
例えば、
夜、雪の中、かじかむ手を温めながら吐く息は白く、男は家路を急ぐ。
道中、見知らぬ民家の団らんの明かりが、シチューの匂いとともに、自然と足を急がせる。
家に着くと、タバコの匂いの染み付いた雪まみれのコートを、ウンザリしながら脱ぎ、さっさとコタツへ滑り込む。
ため息混じりにじんじんした手を温めていると、パジャマ姿の彼女が作りたてのコーンスープを目の前に置いてくれた。
一連の流れからの、その時のムード。空気感。
そういったものを抽象的な音楽から、少し具体的なストーリー解釈として感じ取って、
しかし、具体的になりすぎず、抽象的なまま、ヘアクリエイションに落とし込んでいる。
そういうのが感じられる何かが、あの人の作品からは感じるんですよね。不思議。
それは、色温度から、ヘアの質感から、表情から、空間からだけでなく、
多分、撮影中の視覚化できない、「ムード」「雰囲気」まで意識的にクリエイションしているってことなんだと思う。
そう考えたら、やばいなー。やっぱすごいなー。カリスマだなー。
自分の感性を、マルッと信じていないと、ここまで表現に対して自由になれないよ、普通。
日本の「表現の自由」のなかで、本当に「自由に表現できる人」どのくらいいるんだろう。
そんなことを考えさせられたコンテストでした。